念の発露
「HUNTER x HUNTER」の芸術論
念能力とオーラ、芸術の関係性
ハンターハンターという日本国内でも大人気の漫画(冨樫義博 著)の「ヨークシンシティ編」で、
ゼパイルという芸術家肌のキャラクターが、主人公のゴンやキルアと
念能力とオーラ、芸術の真贋について語り合う場面があります。
例えば、熱狂的なコレクターがいて限定288本が
制作されたというベンズナイフについての会話。
キルア「どの分野で活躍している人間でもずば抜けた才能の持ち主は
本人も知らずに念をつかってる場合が多いってメガネニイサン*が言ってただろ?
* メガネニイサン:ゴンとキルアの最初の念の師匠ウイングさん
キルア「このナイフみたいにオーラが漂ってる品物を見つけ出せば
それはすごい天才が作った可能性が高いってことだ」
ゴン「そうか その方法なら鑑定の知識がなくても
埋もれた逸品を見つけることができるね!」
このマンガの考察は、非常に的を得ていると感じます。
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大ヒット作品は少なからず「世界の真理」を映し出している
「なにも現実とかけ離れたマンガを引き合いに出さなくても・・」
なんて思われるかもしれませんが、
古今東西の大ヒットしている漫画やアニメには、
現実世界や神霊世界に潜む「真実」を暴き出しているものが多くあります。
むしろ直感的にも論理に照らしても「何か違うな」「ピンと来ないな」
そう思われてしまう作品は、
読者層をファン化させたり没入させることもできないため、日本国内でも世界全体でもヒットしません。
多くの人々の心理を捉えて離さないような作品は、
ドラゴンボールにしても鬼滅の刃にしても、東京喰種にしても、
何かしらこの世界の「原理原則」や「法則性」を捉えているのです。
アート
オーラの色濃く宿った作品は「アート」と呼ばれる
ハンターハンターの芸術論を参考に鑑みつつ、
現代まで重宝されている芸術作品には、その作家自身の創意工夫の一端が垣間見れたり、
作家自身の「オーラ」が内包されてキャンバスのに外まで輝きを放つようなものや、
「制作過程」や「ストーリー」を伴って人々に大きく感銘を与えるものが
【アート】と呼ばれ、市場でも高値で取引されています。
ピカソのゲルニカ(スペインの古都ゲルニカを襲った無差別爆撃の様子)
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「文化財」および「国宝」としてのアート
さらにもう一歩、この芸術論を突き詰めていくとどうなるでしょうか?
1つ前の記事でもアートの市場価値は
「精神性とエネルギー値で決まる」と仮定しましたが、
アート作品は大衆に支持されて公的機関にも認められると、
「文化財」として大切に美術館などで保管されたり、
さらに究まっていくと「国宝」として丁重に取り扱われます。
紙本金地著色萩芒図 長谷川等伯筆 六曲屏風
(しほんきんじちゃくしょくはぎすすきず はせがわとうはくひつ ろっきょくびょうぶ)
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ミケランジェロのピエタ像と最後の審判
終着点
アートの行き着く先は「御神体」??
さらに、これが行き着くところまで行くと、
「御神体」として、人目にも触れないような場所や
世間一般には手の届かない形で厳重に保管されて、
パワースポットや「神霊域の要」として、とてつもなく丁寧に扱われたりします。
神社仏閣の「御神体」と呼ばれるもの
実際の話として、
ユダヤの預言者モーゼの十戒石板を納めた「契約の箱(アーク)」や、
三種の神器である「八咫の鏡」・「草薙の剣」・「八尺瓊の勾玉」など、
神なるエネルギーを宿すモノは、「御神体」「御神宝」として、
おいそれとお目にかかれないよう厳重に保管・管理されてきました。
また、釈迦やイエス・キリストのように、聖人君子とされる人物の
遺骨の一部や髪の毛、身に付けていた装飾品なども、
同様に御神体として丁重に祀られてきましたし、
それ専用に新しく建築物が用意されるほどです。
そうした聖人君子の遺品には、人を媒介として繋がっていた
「神なる存在のエネルギー」が、色濃く宿っているからでしょう。
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WASの目指す“アートの最終形態”
実はWASの目指しているアートの形も、これと非常に近しいところがあります。
【後世まで残りつづけ、何世代もの時を経てなお影響を及ぼす作品の創造】
というのは、全ての作家・アーティストの目指す終着地点ではないでしょうか。
・実際にそうであるか
・実現できているかどうか
・時代を経ても残り続けるかどうか
というのは、その時々の人々の好き嫌いはもちろん、
時代の評価と歴史の審判を待つ他はありませんが、
その理想と真っ正面に向かい合い、創意工夫しながら
ドタバタと格闘する姿は、芸術家としての本懐であり、
あるべき姿だろうと感じます。
「御神体を購入」できるとしたら
そしてもし、その遥かなる理想が達成されたとき。
容易には観えざる「神霊世界そのもの」が絵画芸術たるアート作品に内包され、
目に見え、触れられる「御神体」がアート市場に出回ったらとしたら・・
あなたの眼前に「神なる姿」を内観できるような
御神体を「購入」あるいは「鑑賞」できるとしたなら・・・
果たしてその神霊アートの「評価」や「価値」は、いかほどになるでしょうか??