1. MANDALA(曼陀羅)

  2. ARTISTIC(アーティスティック)

  3. PSYCHEDELIC(サイケデリック)

  4. CHILL(チル)

  5. POP(ポップ)

  1. アートが“御神体”になる時

  2. 現代アートの「限界」と“真の芸術性”

  3. 日本神道と祈りの継続

  4. WASのネーミング

  1. 最高級ジークレー画

  2. エディションと作家サイン

  1. パワーグッズ 開発日誌 -壁掛けジークレーアート編-

  2. パワーグッズ 開発日誌 -ポストカード編-

  3. パワーグッズ 開発日誌 -マグカップ編-

  4. パワーグッズ 開発日誌 -スピリットカード編-

念の発露

「HUNTER x HUNTER」の芸術論

念能力とオーラ、芸術の関係性

ハンターハンターという日本国内でも大人気の漫画(冨樫義博 著)の「ヨークシンシティ編」で、

ゼパイルという芸術家肌のキャラクターが、主人公のゴンやキルアと
念能力とオーラ、芸術の真贋について語り合う場面があります。

例えば、熱狂的なコレクターがいて限定288本が
制作されたというベンズナイフについての会話。

キルア「どの分野で活躍している人間でもずば抜けた才能の持ち主は
本人も知らずに念をつかってる場合が多いってメガネニイサン*が言ってただろ?

* メガネニイサン:ゴンとキルアの最初の念の師匠ウイングさん

キルア「このナイフみたいにオーラが漂ってる品物を見つけ出せば
 それはすごい天才が作った可能性が高いってことだ」

ゴン「そうか その方法なら鑑定の知識がなくても
 埋もれた逸品を見つけることができるね!」

このマンガの考察は、非常に的を得ていると感じます。

 

大ヒット作品は少なからず「世界の真理」を映し出している

「なにも現実とかけ離れたマンガを引き合いに出さなくても・・」
なんて思われるかもしれませんが、

古今東西の大ヒットしている漫画やアニメには、
現実世界や神霊世界に潜む「真実」を暴き出しているものが多くあります。

むしろ直感的にも論理に照らしても「何か違うな」「ピンと来ないな」
そう思われてしまう作品は、

読者層をファン化させたり没入させることもできないため、日本国内でも世界全体でもヒットしません。

多くの人々の心理を捉えて離さないような作品は、
ドラゴンボールにしても鬼滅の刃にしても、東京喰種にしても、

何かしらこの世界の「原理原則」や「法則性」を捉えているのです。

アート

オーラの色濃く宿った作品は「アート」と呼ばれる

ハンターハンターの芸術論を参考に鑑みつつ、

現代まで重宝されている芸術作品には、その作家自身の創意工夫の一端が垣間見れたり、

作家自身の「オーラ」が内包されてキャンバスのに外まで輝きを放つようなものや、
「制作過程」や「ストーリー」を伴って人々に大きく感銘を与えるものが

【アート】と呼ばれ、市場でも高値で取引されています。

ピカソのゲルニカ(スペインの古都ゲルニカを襲った無差別爆撃の様子)

「文化財」および「国宝」としてのアート

さらにもう一歩、この芸術論を突き詰めていくとどうなるでしょうか?

1つ前の記事でもアートの市場価値は
「精神性とエネルギー値で決まる」と仮定しましたが、

アート作品は大衆に支持されて公的機関にも認められると、

「文化財」として大切に美術館などで保管されたり、
さらに究まっていくと「国宝」として丁重に取り扱われます。

紙本金地著色萩芒図 長谷川等伯筆 六曲屏風
(しほんきんじちゃくしょくはぎすすきず はせがわとうはくひつ ろっきょくびょうぶ)

ミケランジェロのピエタ像と最後の審判

終着点

アートの行き着く先は「御神体」??

さらに、これが行き着くところまで行くと、

「御神体」として、人目にも触れないような場所や
世間一般には手の届かない形で厳重に保管されて、

パワースポットや「神霊域の要」として、とてつもなく丁寧に扱われたりします。

神社仏閣の「御神体」と呼ばれるもの

実際の話として、

ユダヤの預言者モーゼの十戒石板を納めた「契約の箱(アーク)」や、
三種の神器である「八咫の鏡」・「草薙の剣」・「八尺瓊の勾玉」など、

神なるエネルギーを宿すモノは、「御神体」「御神宝」として、
おいそれとお目にかかれないよう厳重に保管・管理されてきました。

また、釈迦やイエス・キリストのように、聖人君子とされる人物の
遺骨の一部や髪の毛、身に付けていた装飾品なども、
同様に御神体として丁重に祀られてきましたし、

それ専用に新しく建築物が用意されるほどです。

そうした聖人君子の遺品には、人を媒介として繋がっていた
「神なる存在のエネルギー」が、色濃く宿っているからでしょう。

WASの目指す“アートの最終形態”

実はWASの目指しているアートの形も、これと非常に近しいところがあります。

【後世まで残りつづけ、何世代もの時を経てなお影響を及ぼす作品の創造】

というのは、全ての作家・アーティストの目指す終着地点ではないでしょうか。

・実際にそうであるか
・実現できているかどうか
・時代を経ても残り続けるかどうか

というのは、その時々の人々の好き嫌いはもちろん、
時代の評価と歴史の審判を待つ他はありませんが、

その理想と真っ正面に向かい合い、創意工夫しながら
ドタバタと格闘する姿は、芸術家としての本懐であり、
あるべき姿だろうと感じます。

「御神体を購入」できるとしたら

そしてもし、その遥かなる理想が達成されたとき。

容易には観えざる「神霊世界そのもの」が絵画芸術たるアート作品に内包され、
目に見え、触れられる「御神体」がアート市場に出回ったらとしたら・・

あなたの眼前に「神なる姿」を内観できるような
御神体を「購入」あるいは「鑑賞」できるとしたなら・・・

果たしてその神霊アートの「評価」や「価値」は、いかほどになるでしょうか??